国史の二年間の空白→陽成帝の悪逆非道伝説の2年間。

<--陽成帝ログから-->
>>元服以降、数々の暴君伝説を生み出す。
蛙を捕え、捕まえた蛇に喰わせる、犬と猿を闘わせて喜び、人を木に登らせて墜落死させたという。琴の糸で縛り、水底に沈めるなど…。

また、「鶏と戦わせる」(※2)という行事を催した。弘徽殿前で。
(※2・・・雄略天皇のときに記録が残っており、それ以降は陽成天まで行われた記録は無い。)

「この帝はいささか御ものぐうしうおはしまして」
「内裏の御庭に卑しきものを召して、犬などくひ合わせさせたまいけり」
基経が諫めてもこれを聞かず、「猶も犬鶏のもて遊びし給う」と記されている。(『加茂皇太神宮記』)

(この噂は、基経が陽成帝を廃位させるために噂を流した・・・という説も。
また、上の暴君伝説はその後に書かれた説話で、(説話的にも)脚色は入れると思うが、
これは…。世間一般からはやはり物狂いということで歴史に残ってしまったようです。)

<--陽成帝ログ終わり-->

たぶん尾ひれ半端ないと思うよ!(当サイトは基経の噂広め能力説を押しています・笑)




陽成帝失脚のあれこれ。
物狂帝(憑き物に憑かれた)と呼ばれ、帝の帝位を“病気”と言う名目で降ろされる陽成帝。

でも、藤原氏が政権を意のままにした結果っていうのが物狂帝、作られた像っていう…。
自分で政権とれないと基経も大変だし(良房さんから見初められて養子になったわけだし)
基経側からも、公卿達からの敵意(応天門の大量左遷)と陽成帝を幼少の頃から面倒見てたわけだし
複雑だよなー。と思います。



時代的に国史の執筆はもっと後の代なんですが、
式部省っぽい(笑)3人とを描きたかったので。